『猪狩ともか』は歩ける?事故の詳細や和解金について
2025年6月15日未明、名古屋のホテルに泊まっていた車椅子アイドル・猪狩ともかさんが、火災報知器の警報により避難を余儀なくされる出来事がありました。
女性マネージャーや見ず知らずの助けがあってようやく避難が実現。
「下半身不随の私は、人の助けが無ければ即死だったかもしれない」
と語る彼女の言葉は、私たちに“助け”の重みを痛感させます。
本記事ではその避難体験を皮切りに、世間で多く検索される「歩けるのか?」という問いの真偽、2018年の事故の詳細、事故後の生活、そして和解・提訴にまつわる話題を調べました。
猪狩ともかさんは歩けるのか?
Google等で「猪狩ともか」と検索すると、関連キーワードに「歩ける」が出てきます。
しかし、結論から言えば歩くことや自力で立つことはできません。
事故により脊髄損傷を負い、下半身不随(両下肢麻痺)となっています。
本人が「歩く自由さえ奪われた」と語っており、今後も車椅子生活が続きます。
ではなぜ、「歩ける」が出てくるのか?調べてみました。
「歩ける」が検索ワードに出てくる理由(考察)
大きく分けて以下の3つが考えられます。
①「見た目では分かりづらい障害」による疑問
猪狩ともかさんは非常に明るく前向きに活動しており、ステージでも笑顔でパフォーマンスをしている姿が印象的です。
さらに、上半身の自由な動きや美しい衣装でのメディア出演も多いため、初見では「歩けない」という重い障害を負っているようには見えにくいことがあります。
このギャップにより、視聴者やネットユーザーの中には、
「本当に歩けないの?」「もしかしてリハビリで回復したのでは?」
という疑問を抱き、「猪狩ともか 歩ける」と検索する人が多いのかもしれません。
② 脊髄損傷は「個人差」がある障害のため
猪狩さんの障害名である脊髄損傷は、損傷の程度や場所により、部分的に歩ける人もいれば、完全に歩けない人もいます。
そのため、「脊髄損傷=絶対に歩けない」というイメージを持っていない人も多く、
「猪狩さんの脊髄損傷は軽度で歩けるのかもしれない」
と検索する人が出てくるのかもしれません。
③ ファンの「歩ける」ようになって欲しいという気持ち
彼女を応援する多くの人たちの切実な願いもあると思います。
そんな姿に勇気をもらい、元気をもらうファンがいる一方で、「いつかまた、自分の足でステージに立ってほしい」と、奇跡を信じて応援し続けているファンもたくさんいます。
その想いが、無意識のうちに検索バーへ「猪狩ともか 歩ける」と入力させているのでしょう。
特に彼女の笑顔や言葉からは、「障害に負けず前を向いて生きている姿」が強く伝わってきます。
その姿があまりにも凛としているからこそ、
「もしかして、もう歩けるようになってきてるのかな?」
「回復してるならうれしいな」
という希望を込めた検索になっているのかもしれません。
もちろん、現実として「歩くことができない」という本人の言葉は重く、そして事実です。
しかし、それでも「いつか歩けるようになるかもしれない」と願うこと自体が、ファンにとっては彼女を想う純粋な気持ちの現れであり、温かな応援の形なのでしょう。
事故の詳細
- 発生日時
- 2018年4月11日
- 場所
- 東京都文京区・湯島聖堂の敷地内。
- 状況
- 強風注意報が出ていたその日、敷地内に設置されていた高さ約2.8m・横3.8m・重さおよそ60kgの木製看板が突風によって倒れ、歩道にいた猪狩ともかさんに直撃。
仮面女子のコの看板って湯島聖堂のコレだったのかよ・・・。 pic.twitter.com/ZZqGHz8sKJ
— HyperParadise (@pregnant_boy) May 7, 2018
- 当時の様子
- 彼女は散歩中の友人と一緒に歩いており、突如として視界が暗くなり、「何が起きたのかわからなかった」と語っています。
倒れた看板の下敷きになり、救急搬送されるまでの時間、「誰か助けて」と叫び続けるしかなかったと振り返っています。
彼女は後にこう語っています。
「あの時、“なぜ私が”と思いました。夢に向かって進んでいた最中に、突然すべてを奪われるなんて…そんなことが現実に起きるなんて、信じられなかった。」
- 怪我の内容
- 頭部裂傷、脚・肋骨・背骨などの骨折、そして脊髄損傷による両下肢麻痺。
- 搬送された直後、医師から「一生歩くことはできません」と告げられます。
その瞬間の心情を彼女は、次のように語りました。
「“アイドル”として生きていくどころか、これから“人間らしく”生きていけるのかもわからないと思った。
でも、だからこそ『じゃあここからが人生だ』って思おうとしたんです。」
事故後の歩み
- 治療期間
- 救急搬送後は緊急手術を受け、ICU(集中治療室)に数日間、その後HCU(高度治療室)を経て一般病棟へ。
- リハビリの日々
- 事故直後はショックで涙が止まらず、何度も「どうして私だけ」と思い悩んだといいます。
しかし、リハビリを始めて間もなく、「車椅子のままでも、ステージに立ちたい」という強い想いが生まれたのです。
「悔しかった。
アイドルとして夢を追ってたのに、“障害者”としてしか見てもらえないことが悔しかった。
だからこそ、“車椅子のままアイドルをやってやる”って決めました。」
- ステージ復帰
- 事故から約4ヵ月後の2018年8月、仮面女子のライブで車椅子に乗ったままステージに立ち、復帰を果たします。
そのときの言葉が印象的でした。
「今日から私は、“障害者”ではなく、“車椅子のアイドル”です。」
- 日常の変化
- 自宅や職場のバリアフリー改修、移動のたびの段差チェック、健常者とは違う時間配分——生活のすべてが一変。
でも、彼女は、「不便になっただけで、不幸になったわけじゃない」と語ります。
「“失ったもの”は数えたらキリがない。
でも、“得たもの”もある。
『助けてください』って言えるようになったのは、間違いなくこの経験のおかげです。」
和解金と国への提訴
◆ 公益財団法人との和解
湯島聖堂の看板を管理していた公益財団法人とは、2020年3月に和解が成立。
根元の腐食や管理不備を指摘し、相応の和解金が支払われています。
◆ 国への提訴と地裁判決
2021年3月、看板が国所有地内に設置されていたことを根拠に、猪狩さんと両親は国に対し約1,000万円の損害賠償を求めて提訴。
しかし2022年6月27日、東京地裁は国に対して責任を認めず、請求を棄却しました。
理由は「設置・管理は公益財団法人の管轄で国は関与しておらず、瑕疵も認められない」という判断でした。
猪狩さんは裁判後、「再発防止のために国による定期点検を促すべき」とコメントしています。
⑥ まとめ
猪狩ともかさんの歩みは、決して平坦なものではありませんでした。
事故により人生が大きく変わってしまった中でも、彼女は「できないこと」ではなく、「できること」を探し続けてきました。
そして今、車椅子であってもアイドルとして、表現者として、たくさんの人に勇気と希望を届けています。
今回のホテルでの避難体験を通して、私自身も「災害時に障害のある人が置かれる状況」のリアルを突きつけられたような気がします。
普段、健常者である私たちは当たり前のように「避難できる」と思っていますが、彼女のように誰かの助けがなければ命を守れない人が現実にいるということを、もっと社会全体で考えるべきではないでしょうか。
検索ワードに「歩ける」と出てくるのは、もしかすると彼女の頑張る姿を見て、「歩けるようになってほしい」「元気でいてほしい」と願うファンの祈りのようなものかもしれません。
ですが、私は思います。
たとえ歩けなくても、猪狩ともかさんはもう十分“前に進み続けている”と。
彼女のように生きる姿そのものが、私たちにとっての道しるべであり、「歩く」という言葉の本当の意味を考えさせてくれるのです。
これからも彼女の活動を見守り、応援し続けたいと思います。