ロンドンブーツ1号2号が不祥事?解散理由は?田村淳、田村亮、これまでの軌跡と今後

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ロンドンブーツ1号2号が不祥事?解散理由は?田村淳、田村亮、これまでの軌跡と今後


突然の「解散宣言」――ロンブー、31年の歴史に幕

2025年6月24日、深夜23時30分。

テレビ朝日系「ロンドンハーツ」の生放送中に、田村淳さんと田村亮さんが揃ってカウントダウン

――そして、「解散しました!」と声をそろえて宣言。

あまりにも突然で、でもどこか穏やかで…。

正直、衝撃というよりも「やっぱりそうか…」という気持ちが先に来ました。

ここでは、ロンブーがなぜ解散を決意したのか、これまでの歩み、そして今後の活動について詳しくまとめてみました。

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ロンドンブーツ1号2号、解散の真相とは?

今回の解散は、いわゆる「不仲」ではありません。

不祥事でもありません

むしろ、これほど丁寧に互いを思い合って別れを選ぶコンビがいるんだ、と感じさせられました。

解散日時

  • 2025年6月24日(火)23時30分
  • 「ロンドンハーツ」生放送中に、2人がその場でカウントダウンして解散を宣言。

解散発表の流れ

  1. 番組で、突然の手紙披露
    • 淳さんが手紙を取り出し、共演者の狩野英孝さんに読み上げを依頼。
  2. 狩野英孝さん、涙をこらえながら朗読
    • 手紙にはこれまでの感謝の思いが綴られ、最後に明かされた言葉は――
    • 「このたび、ロンドンブーツ1号2号は解散致します。田村淳」
    • 狩野さんは詰まりながらも、丁寧に読み上げました。
  3. スタジオ騒然、共演者も驚きの声
    • 読み終えた後、FUJIWARA・藤本敏史さん、アンタッチャブル・山崎弘也さんらからは「えっ…!?」といった驚きの声が上がります。
  4. 田村淳さんの口から“本当です”と断言
    • 続いてマイクを握った淳さんは、静かにこう語ります。
    • 「ここで発表させていただきたいと思います。31年間やってきたんですが、解散することを決めました。本当です」
    • さらに、「こういう発表の仕方がいいかなと思って」と、あえてこの“ホーム”とも言える番組の生放送で発表する理由を語りました。
  5. 解散の“生カウントダウン”
    • 「厳密に解散する日時は決めていなかった。ここで、皆さんにカウントダウンしていただいて…」と、観客も共有する瞬間を演出しました。
    • スタジオがシーンとなった中、淳さんの呼びかけで、「3、2、1…解散〜!」と全員で号令をかけ、一斉に解散を宣言。
    • その瞬間、2人はしっかりと握手を交わし、「6月24日、23時30分、ロンドンブーツ1号2号、解散しました!」 と、鮮やかに区切りをつけました。

解散の理由

田村淳さんと田村亮さんが話し合いの末、

「お互いに新しい挑戦をするため、一度“ロンドンブーツ”という屋号を下ろそう」

と前向きに決断しました。

亮さんは「淳のフットワークが軽くなる」と配慮し、淳さんも「亮も屋号を背負ってやりづらい部分があった」とお互いを想ってのことでした。

不仲やトラブルではなく、“今後のための円満な解散”でした。

しかし、最大の分岐点は、やはり2019年の「闇営業問題」

亮さんが吉本興業から離れ、淳さんは戻ってきてほしいと何度も声をかけたそうです。

しかし、亮さんには戻れない理由がありました。

「亮さんはああ見えて頑固で、男っぽいところがあるんです。

淳さんは相方を吉本に戻そうと尽力してきましたが、首を縦に振らなかったのは〝戻れない仲間〟がいるからなんです。

仮に(契約解除となった)宮迫さんたちが吉本に復帰していたら、今回の決断も変わっていたかもしれませんね」

と関係者の方が話していました。

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解散のきっかけ

コンビ解散の話は突然ではなく、2025年3月12日の飲み会での率直な会話から始まりました。

■ 淳の思い:「屋号を一度下ろしてみようか」

久々に2人で飲んだ席で、淳さんは亮さんにこう語りかけます。

「ロンドンブーツ、それぞれ楽しくやってきましたけど、屋号を1回下ろして、それぞれやりたいことをやってみようか」
「またいつの日か、何かあるかもしれないし――」

つまり、“解散”は永遠の別れではなく、一度区切りをつけて、それぞれが自由に動いてみるための前向きな決断でした。

■ 亮の思い:「淳のフットワークが軽くなるなら…」

この提案に対し、亮さんも素直な気持ちで応じます。

「コンビを解散した方が、淳のフットワークは軽くなると思う。それなら、その方がいいかな」

亮さんは自分のことだけでなく、相方の活動スタイルも配慮していたことが分かります。

■ 互いに抱えていた“やりづらさ”

淳さんも、亮さんへの理解を示します。

「亮さんも“ロンドンブーツ”という屋号を背負ってやりづらい部分もあるのかなと」
「俺は俺で、(屋号を)一回下ろしたらどうなるんだろう?って話をしたの」

■ 前向きな2人の決断

最後に淳さんはこうまとめます。

「前向きに2人とも、新しい挑戦がしたいと思った。屋号があってもできるけど、“下ろしてみる”という選択をしただけ」

このやり取りから見えてくるのは、不仲でもトラブルでもない、“対話と納得の末に出した決断”ということです。

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ロンドンブーツ1号2号とは? その歩みと存在感

1993年に結成されたお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」(略称:ロンブー)。

同じ「田村」姓ですが、血縁関係はなし

テレビ朝日系「ロンドンハーツ」、TBS「クイズ☆タレント名鑑」など、多くのバラエティ番組で活躍。

時代の空気をつかむ鋭さ、ちょっと毒のある笑いが持ち味で、“東京芸人の先駆け”的な存在として一世を風靡しました。

当初は「ドドリアン」や「タムタム」といった名前を経て、最終的に「ロンドンブーツ1号2号」に。

「どっちが1号?2号?」と聞かれるのを狙ったネーミングだったそうです。

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田村淳さんと田村亮さん、それぞれの人物像

■ 田村淳(たむら あつし)

  • 1973年12月4日生まれ(51歳)/山口県出身
  • 現在も吉本興業に所属
  • 冠番組のMC、コメンテーター、YouTube活動など多方面で活躍中
  • 慶應義塾大学大学院修了、知的で分析力もある“戦略派芸人”
  • ロックバンド「jealkb」のボーカル「haderu」としても活動

お笑いの枠を超えて社会的な発言も多く、信頼のある“発信者”としても支持されています。

■ 田村亮(たむら りょう)

  • 1972年1月8日生まれ(53歳)/大阪府出身
  • フリーランスで活動中
  • 釣りやキャンプといった趣味を軸に、独自のスタイルで活躍
  • 「素朴だけど芯がある」、そんな印象の芸人さんです

亮さんの言葉に、

「コンビを解散した方が、淳のフットワークは軽くなる」
という一節があって、泣けました。

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あの「闇営業問題」とは?

2019年、芸人たちが吉本興業を通さずに営業(いわゆる“闇営業”)し、報酬を直接受け取っていた問題が発覚。

田村亮さんはその1人として謹慎処分を受けました。

問題後、淳さんは相方を守る姿勢を崩さず、
YouTubeやトークライブで「亮をもう一度表舞台に戻したい」と奮闘。

一時は2人で立ち上げた会社「LONDONBOOTS」を拠点に再スタートを切りました。

けれどその後、亮さんはフリーに。
淳さんは吉本所属に戻り、それぞれ別の道へ進んでいく形となっていきました。

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解散後のふたりはどうなる?

コンビは解散しましたが、芸人・タレントとしての活動は続きます。

  • 淳さん:これまで通り、情報番組やバラエティのMC、YouTubeなど多方面で活動
  • 亮さん:釣り・アウトドアなど趣味を活かした活動を軸に、テレビ・イベント出演も継続

特に「ロンドンハーツ」は今後も続く予定とのこと。
あくまで「屋号を下ろした」だけで、決して縁が切れたわけではありません。

「またいつか、どこかで2人が並ぶ日が来るかも」

そんな期待も、ほんのり残してくれたお別れでした。

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SNSでの反応:「解散だけど前向き」「ありがとうロンブー」

SNSでは、今回の解散についてさまざまな声が上がっています。

  • 「2人が納得してるなら、それでいい」
  • 「亮さんが戻ってこられなかったのは、やっぱりあの件の影響か…」
  • 「31年、ありがとうロンブー!」

解散を悲しむ声はもちろんありましたが、それ以上に**“お疲れさま”“かっこいい解散”**という声が多く、2人の人柄と信頼を感じました。

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まとめ:ロンブーは終わっても、それぞれの道は続いていく

ロンドンブーツ1号2号、通称「ロンブー」。
テレビの中で、ネットの中で、私たちにたくさんの笑いと驚きを届けてくれたコンビです。

解散という言葉にはどうしても寂しさがつきまといますが、2人の選んだ道はきっと“次のステージへの一歩”

私は正直、まだ少し受け止めきれていない部分もあります。
でも――「またいつか、ロンブーの2人が笑い合う姿を見られたら」と思っています。

田村淳さん、田村亮さん、31年間本当にお疲れさまでした。そして、ありがとう。

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