楳図かずおの“伝説の家”とお別れの会まとめ|ファン必見のエピソード集
2024年10月28日、ホラー漫画の巨匠・楳図かずおさんが88歳でこの世を去りました。
そして、2025年5月28日には、彼の創作人生を象徴するような「お別れの会」が行われ、ファンの心を再び震わせました。
この記事では、楳図さんのお別れの会の詳細と、彼の代名詞ともいえる“伝説の赤白の家”について、ファン必見の情報を詳しくまとめています。
楳図かずおさんとは?──ホラー漫画のパイオニア
ホラーと笑いを融合した唯一無二の世界観
1936年、和歌山県に生まれた楳図かずおさんは、1955年に『森の兄妹』でプロデビュー。
その後、「漂流教室」「まことちゃん」「わたしは真悟」などのヒット作を世に送り出し、ホラー・SF・ギャグを融合させた唯一無二の作風で、漫画界に大きな影響を与えました。
トレードマークは“赤白ボーダー”と「グワシ!」
赤白ボーダー柄のシャツに赤い帽子、そして指を開いた「グワシ!」のポーズ。
個性的なファッションとパフォーマンスは、漫画のキャラクターそのものとして親しまれてきました。
2025年5月28日、楳図かずお「お別れの会」の詳細
会場は吉祥寺エクセルホテル東急
お別れの会は、東京都武蔵野市の吉祥寺エクセルホテル東急で開催されました。
祭壇には赤白ボーダー柄をモチーフにした装飾が施され、7000本以上の胡蝶蘭やバラが彩りを添えていました。
“グワシ!”姿の遺影とファンへの感謝
遺影には、赤白ボーダーに赤い帽子姿で「グワシ!」を決める楳図さんの姿が。
この写真は、吉祥寺にあるご自宅で撮影されたもので、彼らしい明るくユーモアに満ちたラストショットでした。
展示物も充実──まことちゃんや私物も公開
- 「まことちゃん」のフィギュア
- 赤白ボーダーの私服
- 受賞歴を物語るトロフィーの数々
原稿やイラストの展示もあり、まるで“楳図かずお記念館”のような空間に。
楳図かずおの“伝説の家”とは?
吉祥寺にそびえる赤白ボーダーの家
東京都武蔵野市の住宅街に建つ、赤白ボーダーの外観が特徴的な一軒家。
そのインパクトの強さから「まことちゃんハウス」と呼ばれ、全国的な話題を呼びました。
表現の自由を巡る裁判でも話題に
周囲との景観トラブルから訴訟問題にまで発展しましたが、楳図さんは表現の自由を貫き最終的に勝訴。
このエピソードは、彼の“創作へのこだわり”と“信念”を象徴する出来事となりました。
建物そのものがアート作品
外観はもちろん、内装までもが徹底的にデザインされ、まるで漫画の世界が実在するかのような空間。
訪れた人は誰もが「異次元に迷い込んだよう」と語ります。
伝説の家は今も残っているのか?
楳図の家は今も吉祥寺に残っています。
ファンの間で“聖地巡礼スポット”になっています。
吉祥寺に建てられた「まことちゃんハウス」を記念館として公開してほしいという声も上がっています。
しかし、この「まことちゃんハウス」は過去に景観問題で近隣住民との間で訴訟が起きた経緯があり、記念館化には周辺住民の理解が必要とされています。
楳図さん自身も「自分が住みたい家」としてこの家を建てたと語っており、今後の扱いについては慎重な対応が求められています。
ファンの間では、楳図さんの意志を尊重しつつ、彼の作品や功績を後世に伝える方法を模索する動きが見られます。
「まことちゃんハウス」がどのような形で保存・活用されるのか、今後の展開が注目されています。
ファン必見!楳図かずおにまつわるエピソード集
「グワシ!」の誕生秘話
子どもたちが真似した“グワシ!”ポーズは、作者自身がギャグと愛情を込めて創作したもの。
一種の「反ホラー」的要素としてバランスを持たせていたそうです。
ホラーの中にある“笑いと優しさ”
ホラー描写の裏には、必ず「家族愛」や「人間性」が描かれていました。
読後に残るのは、恐怖ではなく“考えさせられる余韻”でした。
「家は脳の外側」と語った創作論
「この家は、僕の脳の中をそのまま建物にしたもの」と語った楳図さん。
彼にとって“住まい”も創作の一部であり、日常から作品そのものだったのです。
まとめ|楳図かずおさんの人生は、まるごと“作品”だった
漫画、服装、家──どれを取っても常識にとらわれない“唯一無二の表現”で生きた楳図かずおさん。
彼の伝説の家は、今も吉祥寺の空の下で静かにその存在感を放ち続けています。
楳図作品を愛するすべての人にとって、この家は“永遠の創作の聖地”と言えるでしょう。
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